少しづつ、大地震の現実とテントでの避難生活を受け入れられるようになってきたことと、彼女のお父さんが娘を心配する様子を見たことで、私の家族がいろんなところに心配をかけていることに気付いてきました。
まずは、滋賀県に住む、祖父、祖母に、家族全員が無事であることを伝えなければ。
そして、大事な家族がもう一人。
一人神戸を離れ、名古屋に住む兄貴にも、無事を伝える必要があります。
他にも心配をかけているだろう親戚はいますが、まずは兄と祖父祖母に連絡をしなければ。
時間を見つけては、公衆電話に並びに行きました。
公衆電話の行列は初日にも増して多い上に、昨日と違って待ち時間での話相手(彼女)もおらず、退屈でしたが、こればかりは仕方ありません。(写真は借り物でイメージです)
やっと順番がまわってきて、電話ができました。
滋賀の祖父祖母には電話が通じました。
二人ともやはり、とても心配していました。
年老いた体で現地に駆けつけることもできず、眠れない夜を過ごしたそうです。
大喜びしてくれました。電話を頑張って並んだ甲斐がありました。
名古屋の兄貴には電話が通じません。
やはりかける地域やタイミングによっては、まったく通じませんでした。
何度もトライしましたが、ダメでした。
そんなとき、彼女がマンションのドアにメモを貼り付けて、お父さんに会うことに成功したことを思い出し、実家のドアにもメッセージを貼り付けました。
兄貴が探しに来るかも知れないからです。
その方法は的を得ていました。
兄貴はやはり名古屋から家族を探しに帰ってきてたのです。
そして、家のドアのメッセージを見て、公園にやってきました。
両親と兄妹と私の5人家族は久しぶりに勢揃いしたのでした。
気の強い兄貴でしたが、さすがに心配はピークだったらしく、目は赤くしていました。
名古屋は被害はほとんどなく、普通に仕事に出ていたようですが、さすがにテレビで神戸の惨状を見て、すぐに飛んできたとのこと。
彼女のお父さんと一緒で、車はまったく動かず、途中で乗り捨てて歩いてきたようです。
(写真は借り物でイメージです。当時は写真のような、いわゆる震災ファッションで、幹線道路の歩道を歩いている人がたくさん居ました。)
彼女が実家に帰って、なんだか寂しい気持ちになっていた私でしたが、ひとつ年上の兄貴が、この非常時に帰ってきてくれたことは、とても心強く、嬉しく感じました。
親父や母も少し元気になったように思います。
兄貴は来るなり、家に行き、ガンガン荷物を運び出しました。
行動派の兄貴は、いつ潰れるか分からない家の奥の方まで、平気で入っていきます。
揺れを経験してないから、怖くないのかも知れませんが、相変わらず度胸が据わっています。
昨日に引き続き、私と兄貴と親父で家の整理をやりました。
出せないと思っていた車も出しました。
ホンネットが大きく凹んでいる以外は、奇跡的に無事でした。
エンジンもかかり、車は公園まで乗って、テントの横に置いておくことにしました。
慎重で臆病な私ではできなかったことも、兄貴のおかげで出来ました。
その日は兄貴もテントに泊まりました。
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