被災から4日目を迎えました。
2日目に名古屋から駆けつけた兄は、この日一旦、名古屋に帰ります。
兄はすでに結婚していて、名古屋に家族も居ましたし、仕事もあります。
兄は生活の目処がつくまで、「ここにいる」と言いましたが、ここで一緒に避難生活をするべき人ではないので、一旦家族の元へ帰ってもらいました。
ただでさえ不安な今の生活。
誰か一人でもその場から居なくなることは、普段以上に寂しく感じました。
しかし、この日は元気をくれる人が駆けつけてくれました。
父の弟で、私から見れば親戚のおじさんです。
同じ神戸市内で、自分の家も少なからず被害があったおじさんですが、被害の大きい地区に住む我が家のことが心配で、バイクで駆けつけてくれました。
昨日も来てくれたみたいですが、なかなか見つけることができず、今日ようやく会うことが出来ました。
家族全員無事な顔を見て、おじさんは人目もはばからず、涙を流して喜んでくれました。
感情豊かで、明るく、そして涙もろいおじさんは、兄が帰って、少し寂しい我が家を元気付けてくれました。
そして、「今、何が困っている?」「何が一番必要か?」を聞いてきました。
それを聞いて、おじさんは「また来る」と言って、バイクで2時間くらいかかるであろう、おじさんの家に戻りました。
テントを離れる間際、私を呼び寄せ、
「兄貴(私の親父のこと)は疲れてるな。○○がしっかりして、家族支えなあかんで。テント持ってて良かったな。しっかり頼むな。」
そう言って、デコボコの道をバイクで消えて行きました。
おじさんが去って、しばらくして、またテントに来客がありました。
見慣れた顔です。
私は一気に顔がほころびます。
私の彼女です。
震災初日から2日目まで、避難生活をともにしたあの彼女(今の妻)です。
彼女と彼女のお父さんが救援物資を大量に抱えて、テントにまた来てくれました。
さっき、おじさんが来てくれたことで少し気が晴れていた私は、さらに元気になったことは言うまでもありません。
驚きは彼女のお父さんです。
軽トラックに避難生活で必要であろう、ありとあらゆる物資を山積みにして、持ってきてくれたのです。
私の父に、
「その節は本当にお世話になりました。」
と挨拶し、
「不要なものもあるかも知れませんが、前にテントの様子を見て、必要と思ったものを持って来ました。余ったら、まわりの人に分けてあげて下さい。それから、これらは返して頂かなくても結構ですので、気にせず使って下さい。」
私たち家族は呆然としました。
そして、その物資の中身に感服の念を抱きました。
小学校に入ってくる救援物資では決して考えられない、細かな配慮のなされた差し入れでした。
小学校に入ってくる救援物資は本当にありがたいことでしたので、誤解があってはいけません。それを補う、本当に欲しかった、まさに今必要なものがたくさん入っていたのです。
食料・水などは小学校の救援物資で、十分に事足りました。
彼女のお父さんの差し入れに食料はありません。
下着・肌着(男性用、女性用)、くつした、水のいらないシャンプー、カラダや顔を拭く専用のウェットタオル、電池多数、懐中電灯、私の持っていたキャンプ用バーナーの燃料、ロープ、メモ、ボールペン、ハサミ、爪きり、収納用コンテナ、タオル多数、ティッシュペーパー多数・・・などなど
風呂に入れない、洗濯できない、着替えがない、灯りが欲しい、お湯を沸かしたい、布団毛布を干したい、メモをとりたい、爪を切りたい、テントの中のモノを整理したい、毎朝テントにつく結露をふき取りたい・・・まるで我が家の避難生活の苦労を知っていたかのような、この差し入れ。
もちろん、テントで一夜を過ごした彼女の助言もあったとは思いますが、この細かな配慮には声が出ませんでした。
今でもこの義父は、配慮の細かい、正義感が強い人ですが、この時の義父(当時はまだ彼女のお父さん)の器の大きさには感動しました。
彼女の父は私のことを、ひとり暮らしの彼女(娘)を助け出し、テントに入れてくれた命の恩人のように思っていました。
勝手に彼女のマンションに転がり込んでいただけの私は、そんなことなど言えるはずもなく、ただうつむいて、「ありがとうございます。本当に助かります。」とお礼を述べ、頭の中では「申し訳ありませんでした。。。」と反省するしかありませんでした。
その後、彼女とお父さんは、彼女のマンションの荷物の片付けに行き、終わるとまたテントに挨拶をして、帰って行きましたが、その帰り間際に彼女と、
「次に会えるのは、いつになるか分からない。もしかすると遠距離恋愛になる可能性もあるな。」
というようなことを話したと、記憶しています。
夕方になると、朝に来た親戚のおじさんが、また来てくれて、これまた多くの救援物資を置いて行ってくれました。
更に今日は、私の親友もテントを覗いてくれました。
「何かできることは?」
近所に住んでいる同級生なのですが、彼の家の周辺は被害は少なく、私の家を見舞ってくれました。
私は遠慮なく、
「トイレを貸して欲しい。」
と申し入れ、妹を連れて、彼の家でトイレを借りました。
変な話ですが、久しぶりにゆっくりと、安心してトイレができ、とても満足した記憶があります。
妹も同じことを言っておりました。
年頃の妹にとっては、私なんかよりもっと満足したと思います。
被災4日目、多くの方に支えられて、辛いはずの避難生活の中でも、それなりの水準の生活レベルを保つことができるようになりました。
この日の夜、私はキャンプ用ツーバーナーで久しぶりにお湯を沸かしました。
当時、カセットコンロの火力の出力は弱く、冬ということもあり、キャンプ用のバーナーでないとお湯を沸かせませんでした。
テントを持っている人さえ少ないのに、キャンプ用バーナーを持っている人は、この公園でもごくごく僅かです。
燃料が少ししか無かったので、これまでの避難生活では使っていませんでしたが、この日燃料を差し入れして頂き、暖かいカップヌードルを食べることができました。
避難生活から3日間で、冷たいものしか口にしていなかった私たち家族は、このカップヌードルで心から温まることができました。
その日、私はひたすらお湯を沸かす役目でした。
まわりの避難してきている人たちにも、お湯を配るためです。
誰もが皆、温かさに飢えていました。
コーヒー、味噌汁、温かいお茶、カップ麺・・・と、皆、思い思いに寒さを忘れることができた夜となりました。
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