被災から7日目。
今日から天気が崩れるとの情報で、テントでの避難生活に限界を感じた我が家は、私の会社の独身寮にしばらく身を寄せる覚悟を決めました。
大きな決断でした。
1週間のテント生活に終わりを告げ、今日は引越しです。
朝から荷物をまとめ、これまで本当に役に立ったテントをたたみました。
テントがこれほどありがたい、あってよかったと思うことなど、普通の日常生活ではありえないでしょう。
このテントは寒さはもちろんですが、プライベートの確保に大きな役割を果たしました。
着替えたりするのに、小学校の体育館で避難生活をする人はどうしていたのでしょうか?
このテントのおかげで、家族全員大きく体調を崩すこともなく、震災から1週間を過ごすことができたと言っても過言ではありません。
避難していた公園を去るのは、後ろ髪を引かれる思いでした。
まだ多くの人が公園に残っています。
行く先のあての無い人は、雨が降ろうが、そこで何とか生活をしていかなければならないのです。
公園でともに避難生活をしてきた人たちは何だか、同士のような思いを抱いておりましたので、先にそこを去ることはひどい罪悪感を持ったことを覚えています。
そんな感情を抑えながら、私たちが荷物をまとめている間は何とか雨は持ちこたえました。
しかし、この雨・・・
公園で避難生活をしている人はもちろんですが、半壊程度の自分の家で暮らしている多くの人にとっても、大問題でした。
家に損傷を受けている関係で、雨漏りの心配があるのです。
特に屋根や壁に損傷を受けている戸建の住宅は多く、震災で飛ぶように売れたあのブルーシートを屋根にかけた家が街中に見えるような光景を作り出しました。
(写真は神戸市のHPからお借りしました。実際に私の住んでいた街(JR六甲道駅付近)の空撮です。屋根にブルーシートをかけている家が多く見られます。また、火災で街が消滅した地区もよく分かります。)
荷物がまとまると、親父が友人から借りてきたトラックに積み込んで、マイカーと2台で、出発しました。
トラックは親父が運転し、母と、家のすべての荷物を乗せました
家の車は私が運転。妹と犬2匹を乗せていました。
たしかAM10時頃に、公園を離れたと記憶しています。
長い長い神戸脱出になりました。
被災当日からそうなのですが、とにかく大渋滞です。
あちらこちらで通行規制がかかり、通れる道が限られている上に、神戸脱出組、ボランティアの方々の流入、緊急車両の慢性的通行と、渋滞は半端ではありませんでした。
(通行規制の様子。写真は借り物です。)
ほとんど動かないと言っても過言ではありません。
歩いたほうが絶対に早いです。
この、車での神戸脱出は、渋滞のイライラの記憶よりも恐怖の記憶が、鮮明に残っています。
こんな道路の脇を、車で走るんです。(写真は借り物です。あまりにも有名な阪神高速神戸線の横倒し。私の家の隣町です。)

渋滞でほとんど動かない状態で、こんな道路の近くを走るのは恐怖以外の何者でもありませんでした。
「今、余震がきたら、高架橋が落ちてきて、この車ごとペシャンコになってしまうんじゃないか・・・?」
そんな心理状態で、特に高架橋の上を通過するとき、同じく下を通過するときは、一刻も早くそこを通過できるよう祈りながら運転していました。
被災当日以外は恐怖というより、不安の心理状態でしたが、この日は久しぶりに恐怖、「死ぬかも知れない・・・」という感情が出てきて、車のハンドルを握る手はアブラ汗でびっしょりでした。
午前中に出発した私たち家族は、2時間以上経って、お昼になってもまだ芦屋付近をトロトロ前進しています。
恐怖による感情の支配は、昼食の時間を迎えても食欲は出ず、ひたすらハンドルを握っていました。
神戸市灘区から、目的地の大阪府茨木市までは、通常だと高速道路を使って1時間弱。
下道で行ったとしても2時間はかかりません。
ですから、その倍の4時間かかったとしても昼過ぎには、茨木の独身寮に到着の予定でした。
しかし、この日2時間経っても、まだ芦屋付近です。距離にして20Kmも進んでいません。
長い長い神戸脱出です。
兵庫県を脱出してからは、比較的交通量がマシになりましたが、激震地区(神戸〜西宮)を抜けるまでに結局5時間を要し、最終的に茨木市の独身寮に着いたのは8時間後の夕方6時でした。
周囲はすっかり真っ暗です。
そして、雨は少しずつ落ちて来ました。
昼過ぎに到着すると伝えているのに、半日も遅れてしまった。
「管理人さんは怒ってるんじゃないか?本当にここに入れてもらえるんだろうか?犬2匹も本当に話はついているのだろうか?どこに挨拶すればいいだろう・・・」
不安が不安を誘いました。
「本当にここに来て良かったんだろうか・・・」
わぁ・・・ひどい状態ですね・・そんな横をのろのろ運転なんて、とても恐かったでしょうね・・・。その時大きな余震がこなくて、よかったです・・・。
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今でも、当時の様子が鮮烈に蘇る写真ですね!
連日連夜、TVから流れていた映像ですもの。
戦争を知らない私たちが、”死”というものを
漠然としてしか考えないで生きていられる幸せと、
”明日は我が身”・・かもしれないという、
また、漠然とした恐れを感じながら生きている不安の、
両面を強く感じながら読ませて戴いています。
「備えあれば憂いなし」と言われますが、
人間の生命には運もあり、隣で寝ていても助かる命と消え行く命に
運命の切なさのようなものを感じたりもしますね。
いずれにしても、地震国日本に住んでいる限り、
リックルハングさんの様に、辛い体験をされた方は強いと思います!
リックルハングさんの、このドキュメンタリーには、その逞しさを感じます!
はい。。怖かったです。マジで・・・
僕らニュースとか見てませんから、「なんじゃ、こりゃぁ〜、ウソやろ・・・」って感じで。
今見ても映画の世界ですよね。
いつもコメントありがとうございます^^
うれしいです。
ほんとそうですね。
生と死って、何がそれを分けたのか・・・
僕はなぜ生き残れて、あの人はなぜ死んだんだろう・・・
とにかく生き延びた、生かしてもらった命、有意義に使わなきゃって思いながらも、やっぱり日々はその意識を風化していくわけで。。。
このブログ書くことで、また命の大切さを考えています。
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