一旦生活の拠点を、大阪府茨木市の私の会社の寮に移した我が家ですが、翌朝、親父と二人で再び神戸入りしました。
そこで実家の家のドアに貼られている「赤札」を見て、言葉を失います。
赤札・・・全壊判定、倒壊の危険があるため立ち入り禁止であることを意味します。
家族の誰もが、完全な倒壊を免れた我が家は、補修によって住むことができると信じていただけに、そのショックは大きいものがありました。
まわりの戸建の家はすべて「赤札」でした。
確か新築して1年にも満たないご近所の家にも「赤札」が貼られています。
私の住んでいた街、JR六甲道周辺の8つの町では、木造家屋の7割以上が全壊し、死者は200人を超えています。
やはり我が家も全壊なのか・・・
特に親父のショックは大きかったと思います。
赤札ということは、今後の選択肢が限定されることになります。
建替えるか?別の家を新たに探すか?
いずれにしても、今すぐにでも生活の拠点が欲しい我が家にとっては、道のりの遠い選択肢でした。
「この家にはもう住めない。これから先どうするのか?」
これを真剣に考える必要が出てきました。
諦めきれない親父は翌日、この家を建ててくれた工務店に家を見てもらったようです。
結果は・・・・・
同じく、「修復不可」
木造軸組み構造の、その軸組み(柱や梁)に大きな損傷があり、基礎と建物の接続部にも大きな損傷があるとのことでした。
この頃の工務店さんは、震災特需でとても忙しく、つまらない修繕工事などよりも、建替えの方が扱う金額も大きくなることから、あまり修理を積極的に検討し、施工してくれる業者さんは居なかったと聞きます。
そのため、一級建築士などで構成された公的な機関が第三者の目で建物を調査し、「全壊」「半壊」「一部損壊」の判定を下していたのです。
この「全壊」「半壊」の判定を巡っては、見苦しいやりとりもありました。
「半壊」「一部損壊」と判定された家の主が、判定に不服だと言ってくるケースが多発したのです。
「ウチは家の中もボロボロで、どう見ても全壊だ。どこどこさんのところも同じくらいの被害で全壊と判定されている。」
と言ったもの。
理由は明らかです。義援金や様々な保障に対して、全壊判定の罹災証明が欲しいのです。
あとになって、確かに全壊判定の罹災証明があれば、仮設住宅や復興住宅の優先入居資格や、罹災融資など優遇されることがありました。
しかし、しっかりとその家に住んでいるのに、何が「全壊」なのか?
同じように「一部損壊」の人が、「半壊」の判定を欲しがる。
「瓦が何枚落ちたから、これは半壊だ。」
ですと。。。
こんな人を震災後、近所でも会社でも多く見ました。
どうでもいいですが、火事場ドロボウと同じだなと思いました。
我が家は逆です。
「半壊」で修復して、一刻も早くこの家に戻りたかった。
しかし、「全壊」だったんです。
その夜、親父は会社に泊まり、私は親友の家に泊まりました。
中学の頃からずっと仲のいい彼と一緒に居ると、嫌なことは忘れられました。
これから先のことについて、真剣に考えないといけないのですが、その時は現実逃避していました。
夜中まで酒を飲んでバカな話をしていました。。。
次の日は私は、彼の家への恩返しとして、裏山の湧き水からトイレや洗濯などに使う水の確保の手伝いをしました。
そして震災後はじめて、彼と二人でゆっくりと自分の生まれ育った街がどのように破壊されたのかを見て歩きました。
ボロボロになった神戸の街をひたすら歩きました。
どこもひどい惨状でしたが、自分の家の周辺が、このあたりでは最も被害が大きいことも確認できました。
その夜も、目に焼きついた悲しい現実と、「なぜウチのまわりだけが、あんなにヒドイんだ?」というやるせない気持ちで、気持ちが高ぶり、酒なしで眠ることはできませんでした。
その日も彼の家に泊めてもらいましたが、話相手が居てくれて本当に救われました。
そこで実家の家のドアに貼られている「赤札」を見て、言葉を失います。
赤札・・・全壊判定、倒壊の危険があるため立ち入り禁止であることを意味します。
家族の誰もが、完全な倒壊を免れた我が家は、補修によって住むことができると信じていただけに、そのショックは大きいものがありました。
まわりの戸建の家はすべて「赤札」でした。
確か新築して1年にも満たないご近所の家にも「赤札」が貼られています。
私の住んでいた街、JR六甲道周辺の8つの町では、木造家屋の7割以上が全壊し、死者は200人を超えています。
やはり我が家も全壊なのか・・・
特に親父のショックは大きかったと思います。
赤札ということは、今後の選択肢が限定されることになります。
建替えるか?別の家を新たに探すか?
いずれにしても、今すぐにでも生活の拠点が欲しい我が家にとっては、道のりの遠い選択肢でした。
「この家にはもう住めない。これから先どうするのか?」
これを真剣に考える必要が出てきました。
諦めきれない親父は翌日、この家を建ててくれた工務店に家を見てもらったようです。
結果は・・・・・
同じく、「修復不可」
木造軸組み構造の、その軸組み(柱や梁)に大きな損傷があり、基礎と建物の接続部にも大きな損傷があるとのことでした。
この頃の工務店さんは、震災特需でとても忙しく、つまらない修繕工事などよりも、建替えの方が扱う金額も大きくなることから、あまり修理を積極的に検討し、施工してくれる業者さんは居なかったと聞きます。
そのため、一級建築士などで構成された公的な機関が第三者の目で建物を調査し、「全壊」「半壊」「一部損壊」の判定を下していたのです。
この「全壊」「半壊」の判定を巡っては、見苦しいやりとりもありました。
「半壊」「一部損壊」と判定された家の主が、判定に不服だと言ってくるケースが多発したのです。
「ウチは家の中もボロボロで、どう見ても全壊だ。どこどこさんのところも同じくらいの被害で全壊と判定されている。」
と言ったもの。
理由は明らかです。義援金や様々な保障に対して、全壊判定の罹災証明が欲しいのです。
あとになって、確かに全壊判定の罹災証明があれば、仮設住宅や復興住宅の優先入居資格や、罹災融資など優遇されることがありました。
しかし、しっかりとその家に住んでいるのに、何が「全壊」なのか?
同じように「一部損壊」の人が、「半壊」の判定を欲しがる。
「瓦が何枚落ちたから、これは半壊だ。」
ですと。。。
こんな人を震災後、近所でも会社でも多く見ました。
どうでもいいですが、火事場ドロボウと同じだなと思いました。
我が家は逆です。
「半壊」で修復して、一刻も早くこの家に戻りたかった。
しかし、「全壊」だったんです。
その夜、親父は会社に泊まり、私は親友の家に泊まりました。
中学の頃からずっと仲のいい彼と一緒に居ると、嫌なことは忘れられました。
これから先のことについて、真剣に考えないといけないのですが、その時は現実逃避していました。
夜中まで酒を飲んでバカな話をしていました。。。
次の日は私は、彼の家への恩返しとして、裏山の湧き水からトイレや洗濯などに使う水の確保の手伝いをしました。
そして震災後はじめて、彼と二人でゆっくりと自分の生まれ育った街がどのように破壊されたのかを見て歩きました。
ボロボロになった神戸の街をひたすら歩きました。
どこもひどい惨状でしたが、自分の家の周辺が、このあたりでは最も被害が大きいことも確認できました。
その夜も、目に焼きついた悲しい現実と、「なぜウチのまわりだけが、あんなにヒドイんだ?」というやるせない気持ちで、気持ちが高ぶり、酒なしで眠ることはできませんでした。
その日も彼の家に泊めてもらいましたが、話相手が居てくれて本当に救われました。
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そうでしたか。。。本当に大変でしたね。そんな時、お酒を飲んで、辛いことを少し忘れさせてくれるお友達がいて、本当によかったです。思い出の詰まったお家が壊されてしまったことも、本当にお辛かったでしょうね。
そうでしたか。。。本当に大変でしたね。そんな時、お酒を飲んで、辛いことを少し忘れさせてくれるお友達がいて、本当によかったです。思い出の詰まったお家が壊されてしまったことも、本当にお辛かったでしょうね。
by: ひまわりさん * 2008/02/14 00:21 * URL [ 編集] | page top↑
--ひまわりさん、こんばんわ--
不謹慎でしたが、飲んだくれてましたね。
震災後、娯楽に飢えてたので、友達とバカしてましたが、やっぱ虚無感は消せませんでした。。。
いつもありがとです^^
不謹慎でしたが、飲んだくれてましたね。
震災後、娯楽に飢えてたので、友達とバカしてましたが、やっぱ虚無感は消せませんでした。。。
いつもありがとです^^
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