被災から12日目。
我が家は生活の拠点を求めて、神戸市北区の兄貴の会社の社宅へ、明日引越しすることになりました。
結局私自身は、この寮に来た初日と最終日の2日間だけしか、ここで寝ることはありませんでしたが、家族としては5日間お世話になりました。
この日は大忙しです。
引越しの段取り。
寮でお世話になった方々へのお礼と挨拶。
愛犬を親戚の家へ預けに。
親父は引越し用のトラックを借りに。
明日は兄貴も名古屋から駆けつけての、震災後2回目の引越しです。
被災から13日目。引越しです。
この頃になると、神戸の慢性的な渋滞はだいぶ解消されており、比較的スムーズに兄の会社の社宅へ着きました。
同じ神戸でも六甲山の裏側の北区は、何事もなかったような平穏な街の様子でした。
そこは実家の周辺のマンション・ビル群とは違って、まだ畑や田んぼのある、ずいぶんと長閑な風景です。
そこに建つ比較的新しいきれいなマンション、これが一棟まるまる社宅と聞いて驚きました。
私の持つ社宅のイメージは、古くてダサく、4・5階建てくらいでエレベーターもなく、小さな団地のような感じ。
ところが、外観はスタイリッシュで敷地内に立体駐車場もあり、たしか9階建てで、もちろんエレベーターもある。
普通の分譲マンションそのものでした。
部屋を見て、これまた驚き。
最新の設備はもちろんのこと、その明るさ、眺望。
眺めそのものは田園風景ですので、さほど感激しないのですが、周りに高い建物がなく、その解放感は素晴らしいものがありました。
3LDKで、皆が集う広いLDKを囲むように、3部屋があり、両親の部屋、妹の部屋、私の部屋と、まさに申し分のない間取りでした。
母の第一声は、
「ええぇ〜、いいの、こんな立派な部屋。。。」
久しぶりに”家”と呼べる空間を手にした我が家は、被災後はじめて、”安心”を手にしたような気がしました。
いろんな方に支えられ、応援して頂きながら、震災から13日を経て、生活の拠点をこの神戸市北区に構えることができました。
電気・ガス・水道・電話、すべてのライフラインがここでは繋がっており、買い物も普通にできました。
もちろん家族の中でのプライベートも保たれ、風呂、トイレも普段とまったく変わらぬ自由の中で使うことができました。
震災前の当たり前だった生活を取り戻せたのです。
実家の再建については、まだ当分は結論が出そうにありません。
実際に街の機能そのものが復興しないことには、個人の家の再建はできません。
ライフライン・交通の復旧、建物の解体・ガレキ処分などを考えると、気の遠くなるような時間が必要と感じていました。
「いつまでここに居させてもらえるんだろう?」
家族の誰もがそれを思っていました。
しかし、兄貴が、
「再建のメドが立つまで、いつまででも、何年でも居てもいいと確約をもらってる。しばらくはここでゆっくり考えよう。」
そう言いました。
その翌日は、食器類、調理器具や、衣類、布団をはじめとした、生活用品の調達にあけくれました。
ある程度、全壊した実家から取り出せたものもあるのですが、テント生活でボロボロになってしまったものが多く、買換えを要するものが多々ありました。
その日の夜は、震災後はじめて、久しぶりの母の手料理で家族揃っての夕食がとれました。
明日からは、私は2週間ぶりに仕事に行きます。
親父もそうします。
こうして神戸市北区を拠点とした、新たな避難生活が始まったのでした。
普通の生活って、当たり前なんですが、それがいかにありがたいかを実感する事なんて、未開の地にでも行かない限りないですものね。ワンコちゃんのことは、お辛かったでしょうが、それでもご家族に少しだけ笑顔が戻ったかのようで、こちらもほっとしました(*´∀`*)でも、これからだってきっと大変でしたよね・・・。余裕が生まれれば、それだけ考える時間も増えて、気持ちが沈みがちなときは、分かってはいても、しゅんってしちゃうだろうし・・・(´・ω・`)
ご家族皆さんが、今後なるべく笑顔でいられますように(*´ω`*)
まさにおっしゃるとおりで、少し余裕が生まれると、気持ちが沈むんです。
ここからが震災の後、問題になった心のキズ、なんです・・・
実はここから笑顔が消えていきました。緊張の糸が切れた感じでしょうか。
頑張って続きをアップしますよ。
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