そのリアリティをお伝えするために、最も適したものを見つけました。
昨日に引き続き、ネット上を探していて、画面に釘付けになった映像です。
この映像は被災当日〜2日目の、まさに身の安全を確保することに奔走していたときの、私の体験そのものを残してくれていました。
工場のガスタンク亀裂によるガス爆発の避難勧告は、私の避難していた公園にも噂が聞こえていました。
情報がはっきり伝わらず、いろんな噂に人々が右往左往する様子。
毛布にくるまって、地面に座ったり、歩いたりする人の様子。
そういえば、映像を見て思い出しましたが、スキーウェアを着ている人は多く居ましたね。
また、最後の方に出てきた、公園の焚き火のまわりに毛布にくるまって夜を明かす様子。
常に聞こえる、救急車、消防車など緊急車両のサイレンなど。。。
見ていて、目頭が熱くなりました。
もうひとつ、避難生活でのなまなましい映像がありました。
車で生活する人。
上空をひっきりなしに飛ぶヘリコプターの音。
顔面を骨折したウチの親父と同じような格好をして、インタビューに答えるおばさん。
建物の中に怖くて入れないということ。寒くても外がいい・・・
水がないので、トイレが悲惨な状況になっている。
何も食べてないけど、食べる気がしない。
もっと大きな地震が来るという噂。。。
まさに、私が経験した避難生活そのままの映像でした。
見終わって、今の生活が本当に幸せに思えました。
最後まで「震災手記」にお付き合い頂きまして、ありがとうございます。
あの日から、もう13年も経過したんですね。
この手記を書き始めてからは、昨日のように記憶が蘇りましたので、13年の月日を忘れてしまいました。
結局私たち家族は、
テント生活を7日間、
私の会社の独身寮を間借りして、5日間、
兄の会社の社宅に移って、3年間、
の避難生活を経験しました。
家族は全員無事でしたが、避難生活中は精神的に病むことがありました。
愛犬2匹は、避難生活中に1匹は死に、1匹は失明しました。
ツライ思い出しかありませんので、この震災で何かを学んだとかは、あまり感じません。
この体験が、今の人生にどう生きているかも自分では分かりません。
震災ではもっと悲惨な目にあった人は山ほど居ます。
ご家族や親しい人がお亡くなりになられた方にとっては、このブログは気分を害するものかも知れません。
ただ私自身もそうですが、13年という月日を経て、風化しつつある震災の教訓を再度思い起こし、これから起こるかもしれない東海・東南海地震に備えるキッカケになれば、少しは役に立ったんじゃないかと思います。
最後に、
避難生活の間、お世話になった多くの親族、友人、会社関係、ご近所の方々に深く感謝申し上げます
とともに、
この阪神淡路大震災でお亡くなりになられた
6,400名超の方々、その後の避難生活で
お亡くなりになられた方々に、
心からお悔やみ申し上げます。
(神戸ルミナリエ。このイベントが震災追悼であることを、私たちは忘れてはいけない・・・)
最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
このノンフィクションブログは、最後ひとつだけ「あとがき」を記して完結したいと思います。
途中から、なんてコメントしたらいのか、適切な言葉が見つからずにずっとコメントできずにいました。
今日もやっぱり、言葉が見つかりません。
私の中の深いところに、なにか余韻のような、今はまだうまく紐をとけないようなものが生まれています。
この紐がほどけた時に、もうちょっとちゃんとコメントできる日が来るかも知れません。
私の中での深いところではまだ靄がかかったままですが、それでもブログを読み続けている間に、非常袋を見直し、家具の固定をしました。
・・・やっぱり、なんだかうまく言葉にできませんが。
リックルハングさん、ありがとう。
心から、リックルハングさんに尊敬の意を表します。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
大切なことは、忘れないことだと思います。
そんな、大切なことを教えてくれたリックルさんへ。
ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
あたしは、自分の大切な人にもこちらのブログを読んでもらいたいと思います。
震災で亡くなられた方へ心からのご冥福をお祈りいたします。
何度もコメントしようと思いながらも出来ませんでした。今日も出来そうにありません。ただお辛いのにこのブログを書いていただいてありがとうございました、とお礼だけでも言いたくて・・・。ホントにありがとうございました。
だんだんとコメントしにくいブログになったと、自分でも思います。
でもみんな見に来てくれてることは分かってますから、ここまで書くことができました。
応援いつもありがとう^^
PS.
せっかく応援してくれたのにアワードはダメだったようです。しゃけさん応援しますよ〜、ぜひサンドウィッチマンに会ってきて下さい^^;
13年も経って今さら・・・なんて思ってましたケド、ひまわりさんのように思ってくれた人が居てくれると、書いた甲斐があります。
マスコミが取り上げないようなナマの声ですから、お知り合いの方にも、知ってもらえると嬉しいです^^
いつもありがとう!!
ありがとうございます。
一言だけでも足跡残してくれると、頑張った甲斐があります。僕のよく読むブログで、緑大好き洋子さんのコメントみかけていましたよ^^
僕のブログも読んでくれていたなんて嬉しいです!
涙ながらに拝見させて頂きました。
私は、宮城県に住んでおり、人生において何度か大きな震災を経験しております。
昨日の朝も、震度5強の地震もあり、朝より続いている余震にびくびくしながら、夜を過ごしてます。
ただ、電気・水道・ガスといったライフラインが止まることなく、日常生活を送ることができるので、
とても恵まれているのかもしれません。
一番酷かったのが、30年前の6月12日夕方、宮城県沖地震が発生し、電気・水道・ガスのライフラインが止まる被害がありました。
私は3歳だったこともあり、断片的な記憶しかありませんが、家中のガラスが割れ、冷蔵庫が勝手口を突き破って外に飛び出してたり、ブロック塀が崩れてたり・・・
それは、「県の防災の日」となったくらい、酷いものでした。
今回、ブログを拝見して、改めて、近い将来99.9%の確率で発生すると予測されている
「宮城県沖地震Xデー」の為に考えていきたいと思いました。
昨日の地震大丈夫でしたか??
激震地区は阪神級の揺れだとか。。。
最近、中国四川やら岩手宮城やら、大地震が多く、連鎖的に各地で引き起こされている気がして恐ろしいです・・・
東北地方の皆さまの生活が一刻も早く普通に戻ること、不安から解消されること、精神状態が落ち着かれることをお祈りしております。
ありがとうございました。
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