全壊した家から避難生活に必要な生活資材を、ひたすら出して行きました。
実家は大きな損傷を受けましたが、完全な倒壊を免れたおかげで、多くの家財を取り出すことができました。
完全に倒壊した家や、火災で焼失してしまった家では、生活資材を取り出すことができません。
まさに着の身着のままでの避難生活を余儀なくされてしまうのです。
そんな人はいくらでもいました。
特に初日は、まったく救援物資などもありませんので、ツラい目にあった方が多くいました。
我が家は自分たちのことでまだ精一杯ながらも、恵まれた避難物資があったこともあり、近所の知り合いの方に毛布を分けたり、服をあげたりしました。
私の当時のお気に入りだった、ユナイテッドアローズのウィンドブレーカーを知らぬ間に母が、誰かにあげたと聞いて、少し落ち込んでしまいましたが、そんなことよりやることが山ほどありました。
テントを持っていたこと、家のものを持ち出せたこと、
この2つの不幸中の幸いは、明らかに周りの多くの人よりも恵まれた環境を確保できたのでした。
暗くなる前に、なるべく多くの物資をテントに運び込むため、必死で運びます。
次の余震でいつ実家が倒壊するかもしれないので、一刻も早く物資を取り出したいという心理もありました。
家に入るときは、親父と二人ペアで行きました。
入口付近で私が待機し、親父が家の奥へ入る役でした。
亀裂だらけの家に入るのは、勇気が要りました。
親父に万が一のことがあれば、私が救出できるよう、スタンバっていました。
度重なる余震のたびに、親父は家の中から走って出てきました。
入口で待つのも、大きな恐怖でした。
私の実家よりもボロボロに壊れ、大きく傾いている隣の家が、いつ潰れるか分からない状況だったからです。
そんなことの繰り返しで、無我夢中の被災当日は夜を迎えました。
夕食は何を食べたのだろう?
すでに記憶はありません。
ただただ寒く、身を寄せ合って、テントで横になり、布団が重いのと、脚を伸ばせないので、体が痛かったことを覚えています。
余震は夜も絶え間なく続き、誰一人としてまともな睡眠などとれるはずはありませんでした。
まして、極寒の公園の夜、地面に布団をひき、頭まで毛布や布団をかぶって寝ている多くの人は、眠ることなどできなかったはずです。
「何で俺は、こんなとこでキャンプしてるんだ?これって夢だろ??」
あまりにも現実離れした一日を経験したため、目を閉じても、そんなことばかり考え、目を開ければ暖かい部屋で寝ていた自分に戻れる気がしていました。
残念ながら、何度目を閉じても、開けても、それは現実でした。
夜の闇は昼間よりもいっそう地震への恐怖を掻き立て、私は一刻も早く朝が来ることを願いました。
これは皆同じ気持ちだったようで、テントの外では、焚き火をして暖をとり、夜を明かすものや、大きな音でラジオのニュースに耳を傾けるもの、発電機を回し、投光器を焚いて停電の街を照らすものなど、一日中ざわめきのある夜だったことを覚えています。
実家は大きな損傷を受けましたが、完全な倒壊を免れたおかげで、多くの家財を取り出すことができました。
完全に倒壊した家や、火災で焼失してしまった家では、生活資材を取り出すことができません。
まさに着の身着のままでの避難生活を余儀なくされてしまうのです。
そんな人はいくらでもいました。
特に初日は、まったく救援物資などもありませんので、ツラい目にあった方が多くいました。
我が家は自分たちのことでまだ精一杯ながらも、恵まれた避難物資があったこともあり、近所の知り合いの方に毛布を分けたり、服をあげたりしました。
私の当時のお気に入りだった、ユナイテッドアローズのウィンドブレーカーを知らぬ間に母が、誰かにあげたと聞いて、少し落ち込んでしまいましたが、そんなことよりやることが山ほどありました。
テントを持っていたこと、家のものを持ち出せたこと、
この2つの不幸中の幸いは、明らかに周りの多くの人よりも恵まれた環境を確保できたのでした。
暗くなる前に、なるべく多くの物資をテントに運び込むため、必死で運びます。
次の余震でいつ実家が倒壊するかもしれないので、一刻も早く物資を取り出したいという心理もありました。
家に入るときは、親父と二人ペアで行きました。
入口付近で私が待機し、親父が家の奥へ入る役でした。
亀裂だらけの家に入るのは、勇気が要りました。
親父に万が一のことがあれば、私が救出できるよう、スタンバっていました。
度重なる余震のたびに、親父は家の中から走って出てきました。
入口で待つのも、大きな恐怖でした。
私の実家よりもボロボロに壊れ、大きく傾いている隣の家が、いつ潰れるか分からない状況だったからです。
そんなことの繰り返しで、無我夢中の被災当日は夜を迎えました。
夕食は何を食べたのだろう?
すでに記憶はありません。
ただただ寒く、身を寄せ合って、テントで横になり、布団が重いのと、脚を伸ばせないので、体が痛かったことを覚えています。
余震は夜も絶え間なく続き、誰一人としてまともな睡眠などとれるはずはありませんでした。
まして、極寒の公園の夜、地面に布団をひき、頭まで毛布や布団をかぶって寝ている多くの人は、眠ることなどできなかったはずです。
「何で俺は、こんなとこでキャンプしてるんだ?これって夢だろ??」
あまりにも現実離れした一日を経験したため、目を閉じても、そんなことばかり考え、目を開ければ暖かい部屋で寝ていた自分に戻れる気がしていました。
残念ながら、何度目を閉じても、開けても、それは現実でした。
夜の闇は昼間よりもいっそう地震への恐怖を掻き立て、私は一刻も早く朝が来ることを願いました。
これは皆同じ気持ちだったようで、テントの外では、焚き火をして暖をとり、夜を明かすものや、大きな音でラジオのニュースに耳を傾けるもの、発電機を回し、投光器を焚いて停電の街を照らすものなど、一日中ざわめきのある夜だったことを覚えています。
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