震災から13年の月日を経て、いつかは記録に残したい、書きたいと思っていた「震災手記」を、ブログというツールを使って、やっと書き始めることができました。
日々薄れていく記憶の中で、最近、日本全国で大きな地震が起こるたび、また毎年1月17日を迎えるたびに思い出しては、そのことを考えていました。
なんでもそうですが、大きな災害、災難は、自分が実際にその立場にならないと分かりません。
人間って、なぜか「自分だけは大丈夫」と思っています。
そう、他人事です。
私もそうでした。
まさか神戸に地震が来るなんて、これっぽっちも思ってませんし、その備えなどあるはずもありませんでした。
私は神戸市灘区という場所で被災しました。
JR六甲道という駅の付近で、震度7の激震地区でした。
駅の高架橋が落ち、JR東海道線で最後まで復旧が遅れたことで、少し有名になった駅です。
火災も発生し、街が消滅しました。
大げさではありません。
その証拠に現在の私の実家の周辺は、震災復興再開発により完全に違う街へと変貌しました。
もともと商店街や市場の並ぶ下町でしたが、今はご覧のとおり、ビルディングジャングルです。

近所の人はほとんど街を離れ、現在住んでいる人は、新しく震災後に来た人ばかり。つまり、震災を知らない人たちばかりです。
ほとんどの家は建て替えられ、家や街並みは区画整理により整然としています。
小学校、中学校もすべて建て替えられました。
もはや震災前のような、私の故郷としての面影は一切ありません。
地震はそれほど、すべてを破壊、消滅してくれました。
我が家は自宅が全壊し、テント暮らしと、3年間の仮住まい生活を経験しました。
これから少しずつ、記憶を辿りながら、その記録を記していこうと思います。


