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そのとき私は・・・被災当日

1995年1月17日(火)

3連休が終わり、その日から仕事が始まる朝でした。

私は例のごとく、ひとり暮らしの彼女(現在の妻)のマンションに転がりこんでおり、そこから出勤の予定。

昨日は神戸三宮のおしゃれなレストランで食事をし、彼女との楽しいデートを満喫。(と、妻の記憶を辿って前日の様子を思い出す・・・)

震災後のことは、13年を経た今でも思い出しますが、震災前のことはあまり思い出せない。それくらい震災の後が強烈であったことは言うまでもありません。


5時46分、私たちはまだ深い眠りの中。

そのときがやってきます。

寝ぼけながらも、ハッキリと体に染み付いている、あの「ゴォォォォォー」という音。下から突き上げてくるような嫌な響きです・・・

「ド・ド・ドンっ」

と、大きく縦(垂直方向)に揺さぶられます。

建物ごと持ち上げられて、落とされる感じが数回にわたり、繰り返されたように記憶しています。

その後、今度は激しく横(水平方向)の揺れ。

長い長い揺れです。

どうなってしまうのか・・・と思うくらい長く感じました。


私の彼女は狭いワンルームマンションで、ベッドから布団を下ろし、床に二人並んで寝ていました。

長い揺れの間、私は彼女を無理矢理ベッドの下に押し込もうとしました。

正義感が強いように思われるかも知れませんが、私自身が恐怖におののき、自分もベッドの下に入りたいので、彼女ごと自分の体を押し込んでいるといった方が正確な事実です。

自分では気づいてませんでしたが、本能的にかなり大きな叫び声を上げてしまっていたようです。(彼女にしてみれば、何より、私の叫び声が一番怖かったとか・・・)


揺れがおさまりました。

辺りはまだ真っ暗です。もちろん電気はつきません。

まず、何が起きたのか?事態を把握するのに少し時間が必要でした。

私は「飛行機の墜落?」と、とっさに思いました。

地震であるということは、まったく考えませんでした。


騒然とする私と彼女に、最もツラい声があちこちから聞こえて来ます。

悲鳴と叫び声・・・

「大丈夫か、おいっ、」「どこにおる?」

それら周囲、ご近所の叫び声、悲鳴が、ただ事ではないことに気づかせてくれました。


彼女が、「どうしよう?」と聞いてきましたが、何も考えられない。

かっこ悪いが、どうしたらいいのか分からない。

少々パニック気味だったかも知れません。

だんだんと暗闇に目が慣れてくるとともに、少しづつ夜が明けてきて、部屋の状況が見えてきました。

そのときはあまりの驚きとショックで何とも思ってなかったのですが、今思えば、二人の寝ていた枕元のすぐそばに転がっていた、テレビや電子レンジ・・・

二人とも足の踏み場もない部屋の中で、キズひとつなく無事だったことは不幸中の幸いでした。

「うわっ、これヤバいで!部屋ムチャクチャやん。壁も一部落ちとるし・・・、なんやねん、これ・・・・・」

「会社どうする?」と彼女。

「どうしよっかな?ちょっと様子見て考えるわ。ムチャクチャやし、休ましてもらいたいケドな。」

彼女は当時まだ学生。

私は会社に入って2年目の新人で、まだ真面目だった頃でした。

マンションの外の惨劇を見ていない私は、このとき無謀にも、まだ会社に行くつもりでいました。


そのとき電話が鳴ります。

なんとも思っていませんでしたが、震災直後は電話が繋がりました。

彼女の実家のお母さんからです。

彼女が出て、10秒も話さないうちに勝手に切れました。

そしてその後、二度と電話はかけることもできず、かかってくることもなくなりました。

ただひとつ、娘と離れて暮らす実家の両親に娘の無事が伝わったことは、少しの安心と、余計な心配をかけることになってしまいました。

その後、彼女は2日間、両親と会えず、その間の両親の心配たるや尋常ではなかったはずです。

テレビで惨劇を見た両親の気持ちは、当事者の私たちは分かっておりませんでした。


夜が白けてきました。

寒い朝でした。

できるだけ服を着込み、二人で外の様子を見に行こうと彼女に言いました。


長い長い一日がこれから始まろうとしていました。

2008/01/17(Thu) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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